★ 何故ロシアなのか? ★


 「何故ロシアなのか?」 その理由は次の通りである。


■ 私の初めての海外体験はモスクワだった ■

 1986年9月3日、私が生まれて初めて降り立った異国の地は「ソビエト連邦のモスクワ」だった。 飛行機の窓から見る飛行場は殺風景で、初めての外国という緊張もありとても心細かった記憶がある。
国際空港なのに何故か薄暗い建物の到着ロビーを進み、トランジットの連中の列を通り過ぎて暗い汚れた階段を下るとそこがパスポートコントロールだった。 そこで私は忘れられない光景を目にするとになったのである。 何とそこには軍服に身を包んだ若い兵士が機関銃を持って直立の姿勢で立っていたのである。
この光景はまったく予想していなかったこともありショックであった。 間近に見る機関銃は重々しい光を放っており、二十歳そこそこに見える兵士はこちらに鋭い視線を向けていて周辺には緊張が張りつめる。

係員は差し出したパスポートをしげしげと見ながら「入国目的は?」とか「ホテルは?」とか聞いてきてなかなか通してくれない。 やっと通過したが、空港のロビーには胡散臭そうな連中が大勢居て異様な雰囲気、日本でのんびりと暮らしていた私にはこの体験が異国を肌で感じた初めての体験であり大きなカルチャーショックとなった。


☆ 1986年のモスクワの印象 ☆

1. 走っている車がボロボロ。
 当時日本ではすっかり見なくなったような古い形式の車が大部分でそれも何とか走っているという感じ。 道路の脇でエンストしている車が多い。

2. 大通りの真ん中に謎のレーンが??
 日本だと中央分離帯に相当する場所にちょうど車1台程のレーンがガードレールも植え込みもなく存在している。 これは何? と思っていたが、偶然にその意味を知ることになった。 私がバスから何気なく渋滞している車の流れを見ていると、遙か彼方からその真ん中のレーンを黒塗りの高級車が爆走してきたのである。 その車はあっという間に渋滞を走り抜けたかと思うと、何と信じられないことに赤信号を無視して交差点を通過してあっという間に見えなくなった。
この爆走車は「政府高官の専用車」であり、その車が走っていた中央のレーンはこの種の車専用のレーンで一般車は進入禁止であるとあとから聞いた。 交差点には事前に警官が配備されていてこの車を通過させるためだけに青信号サイドの車をすべて停車させていたのだ。

3. 町中の広告が少ない
 時々見る広告の色は何故か赤の原色ばかり。 広告は巨大だがその数は少ない。
数日後に行ったパリの広告を見たときには、このモスクワの町を思わず思い出してしまった。

4. 宿泊したホテルは巨大
 コスモス[HOTEL COSMOS]というホテルに宿泊したが、これが巨大な建物。 一流と言う割には中身はかなりボロい感じ。 ロビーに化粧の濃いお姉さんやおばさんが大勢いらっしゃった。 しかしその日に宿泊するホテルが空港に到着するまでわからない(事前に知らされない)という事実には全く驚いた!

5. 地下鉄には驚いた!! 
 駅は地下の深い場所にありエスカレータが長くて速度がすごく速い。 乗るときと降りるときには「よいしょっ」とタイミングをとる必要がある。
 長いエスカレータの下にある駅は・・・ すごい!!
何がすごいかというと、「美術館みたい」なのだ。 高い天井からはシャンデリアが、そして壁には素晴らしい彫刻が、どうして地下鉄の駅にこのような金をかけるのかとずいぶん悩んでしまった。

6. 軍人に突然怒られて逃げた!
 地下鉄の改札口でストロボを使って写真を撮ったら、ファインダーの中にいた軍服のおじさんが突然凄い形相で何か喚きながらこちらに向かって走ってきた。 捕まったら最後(何が?)と本能的に判断して、必死で走った。 なんとか逃げ切ったがすごく、すごく怖かった。

7. 何だ、この行列は?
 アルバート通りで長蛇の列を見つけたので何かなあと思ったらペプシコーラの販売であった。 この列の長さが半端じゃない、1キロもあっただろうか。 コーラ1杯でこれだけ並ぶのかと不思議な気分がした。

8. 単独行動は禁止
 我々は仕事関連の調査団ということで10数名の集団だったのであるが、空港にはイン・ツーリストからのお迎えで現地ガイドなる女性が来ていた。 モスクワの町での行動には必ずこの女性が同行することが条件で単独行動は認められていなかった。
事前に連絡してあったコースをこの女性を同伴して回ったのであるが、夜になって「地下鉄に乗りたい」と言ったら、「それは予定外の行動であり許可できない」と拒否されてしまった。 こちらは集団なので強気に出て無理矢理地下鉄に乗りに行ったところ彼女はぶつぶつ文句を言いながらついてきた。 そして可哀相な彼女は我々と一緒に怒った軍人から命辛々走って逃げることになってしまったのである。


・・・・・・ あれからモスクワにはいろんな事があった。 国の名前も大統領も変わった今はいったいどうなっているのかが知りたくなった。



■ エルミタージュ美術館へ行きたい ■

 スペイン・マドリッドのプラド美術館へ行って「芸術的絵画」に開眼した私であったが、その後念願かなってイタリア・フィレンツェのウフィッツイ美術館へ行ったあとに「次はエルミタージュに行くぞ!」と決心していたのだ。
しかしペテルブルグは遠くその願いは長い間実現しなかった。

 ピョートル大帝が建設し歴史が激しく移り変わる中で何度もその呼び名を変えてきた町に、その名の通り「隠れ家」のように存在してきたこの美術館。 エカテリーナの芸術的作品でもあるこの美術館への憧れは日増しに強くなるばかりであった。




1995年の夏、ロシアへの旅はその後のモスクワと夢にまで見たエルミタージュ美術館を訪ねる旅となった。


・・・・・・・・ to be continued


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