フランクフルト空港でANAからLHへと飛行機を乗り継ぎ、チェコ共和国の首都プラハへと向かった。
成田空港のチェックインカウンターで「乗り継ぎはぎりぎりの時間ですね」と言われてしまい、「ANAの国際
線予約デスクで”絶対に大丈夫”と言われた乗継便だ、乗れなかったらANAに責任取ってもらう」と一応応酬しては見たが、実は相当心配になってしまった。
数年前にミュンヘン空港で絶対に大丈夫と言われた乗継便に乗れなくて、予定外の町で一泊した苦い記憶を思い出した。 フランクフルト空港での乗継時間は45分であった。
成田空港を30分遅れて出発した飛行機は、途中で遅れを取り戻し、フランクフルト空港に5分遅れて到着した。
この空港でパスポートチェックして、地下の長い廊下を延々と歩いて、更に搭乗ゲートまでの長い通路を歩くことを考えると、乗継便に間に合わないかもしれないと実は相当焦っていたのだ。
しかし到着してみると、プラハ行きの便はなんと同じターミナルからの出発で、地下の長い廊下を歩くこともなく、パスポートチェックもなくて、少し通路を移動しただけで簡単に出発ゲートに到着したのだった。
ゲートに到着したときには既に搭乗が始まっていたことを考えると、パスポートコントロールを通過した
り、長い通路を歩いたりしていたら多分間に合わなかったと思っている。
国際線の乗り継ぎは、航空会社の言う事を信用するのではなくて、最終的には自分で判断しなければだめだと再認識したのであった。
プラハ国際空港は、近代的な空港に生まれ変わっていて驚いた。 ちょうど13年前、まだチェコスロバキア
という国が存在した頃に始めてこの空港に降り立ったときのことを思い出した。
当時東欧というと日本ではまだ馴染みがなくて、周囲から、「どうして、また、よりによって、東欧になんて行くの?、何があるの?、暗い感じがする」と言われたことを思い出す。
その後日本でも東欧ブームが起こり、旅行会社でもプラハ、ブダペストなどのツアーパンフ
レットが普通にみられるようになってきたのである。
プラハ空港で荷物をピックアップしようとターンテーブルで待っていたが、なんと荷物が到着していなか
ったのだ。 人間はぎりぎり間に合ったけれど、どうも荷物が乗り継ぎに間に合わなかったようだ。
仕方ないのでバゲージクレームで手続きだけして、身軽なままミニバスでダウンタウンに向かった。
ミニバスの終点から宿泊予定のペンションまでは地下鉄を乗り継ぎ向かう、時間は既に夜の9時であるがまだヨーロッパの夏は明るい。
ペンションに到着したが、荷物がないのでどうも落ち着かない。 フロントに「11時までに荷物が着いたら連絡
お願い、11時以降は寝ているので連絡は不要」と伝えて、11時を待って即寝てしまった。
部屋は少し古い作りではあるが、天井が高くて広い、とても静かで良い。 夜中に雨の音を聞いたような気がしたが、熟睡した。
翌朝は、初日の朝のお約束でゆっくりと起きる。 遅い朝食を近くのカフェで済ませ、ペンションに戻って確認すると荷物が無事届いていた。 これで一安心、しかし良く考えてみると、重い荷物をガラガラ引きながら地下鉄の乗り継ぎをせずに済むのだから、今回のような「荷物だけ乗り継ぎに間に合わないパターン」も楽で良いなあと思った、これは次回からも使えそうだ。
荷物を確認してからプラハの中心部へと地下手鉄で向かった。 火薬庫、ヤンフスの像、時計台、カレル橋など
13年前とまったく変わっていない風景が懐かしい。 13年前のプラハは猛烈な暑さだった。 当時、記録的に暑かった夏で外を歩くだけですごく汗が出て出て大変だったことを今でも思い出す。
その印象が非常に強い街だったが、今回のプラハは寒い、とても寒い。 雨が降ったり曇ったり、そして時々晴れたりという気まぐれな天候。 旧市街広場からカレル橋へと歩いたが、この時間帯は土砂降りの雨にもかかわらず、狭い道をものすごい数の観光客が歩いているのに驚いた。
結局この日は朝から雨が降ったり止んだりの天気だったが、カレル橋に着く頃には晴れ間が見えるようになっていた。
カレル橋、ここから見る対岸のプラハ城、その美しい姿はまったく変わることなくやはりとても美しい。 気品があり、落ち着いたその姿は見ているだけで幸せな気分になってくるのだ。
カレル橋は、路上パフォーマンスをする人、似顔絵書き、絵を売る人などが両側に陣取り、大勢の観光客がそぞ
ろ歩いている。 ものすごい数の観光客だ。 橋を渡ってそのまま坂の上のプラハ城へと向かった。 城の入り口
の守衛の兵士も昔と同じ位置に立っていた。 城の中で変わっていたのは、チケットを購入しないと行けない場
所が多くあったことで、昔はそのまま通れた道にゲートが出来ておりそこでチケットチェックという仕組みに変
わっていた。 少し悲しくなってしまい中には入らずに通り過ぎるのであった。
夕食はペンション近くの地元レストランに行った、チェコ語のメニューだけで読めない。 マスターが変な英語で料理を説明しようとするが、これを断り無謀にもチェコ語のメニューと格闘してしまった。 ビールの美味さと安い値段に驚く、ビールがミネラルウォーターよりも安いのだ。
翌朝は朝食をペンションで済ませてからチェックアウト、地下鉄を乗継ぎダウンタウンのAVIS事務所へと向かった。 チェコのドライブの始まりだ。 車はマニュアルのOPEL ASTRA、前年はアイルランドで運転したが日本と同じ右ハンドル/左側通行だったので、ポーランドで運転して以来2年振りの左ハンドル/右側通行の運転に最初は緊張する。
AVIS事務所を出発するとすぐにハイウェイに入り、そのまま南へと走る。 道路標識はわかり易くて、郊外へと走るほどに車は減ってゆく。
途中のサービスエリアで休んだり、通過する町のスーパーマーケットに寄ったり、カフェでコーヒー飲んだりし
てあちこち寄り道しながらのんびりゆっくり走る。 夕方には目的地であるチェスキー・クルムロフに到着した。
・・・・・・・・ to be continued

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