★ バルトへ行こう ★


 1998年8月バルトへ旅行した。 「バルト3国」と呼ばれるのは「エストニア」、「ラトヴィア」、「リトアニア」の旧ソ連の国々である。 日本の典型的サラリーマンである私の場合、長期休暇は夢のまた夢であり日程的に制限がある夏休みでは3つの国の訪問は日程的に無理なのだ、全部はあきらめたぞ・・という訳でエストニアはまた次の機会と涙をのんでラトヴィアとリトアニアを訪れることにした。
ラトヴィアの首都リガもリトアニアの首都ヴィリニュスも世界遺産に指定されている美しい街なのでとても楽しみだ。 中世の町並みは我々をどのように迎えてくれるのだろうか。

 さて、事前の準備だが日本ではあまり情報が得られない。 「地球の歩き方」、「Lonly Planet」でお勉強するが列車やバスの時刻、首都以外の都市の情報が今ひとつ不足なのだ。 Interenetで探していると「Riga in your pocket / Vilnius in your pocket」という雑誌を見つけた。 雑誌をそのままHomepageに展開しているようでかなりの量の情報だ。 A5版のオリジナルが[4枚のInternational Reply Coupon]で購入できると書いてあったので郵便局でさっそく8枚購入してメールでオーダーした。 すっかり忘れた頃になって2種類の雑誌が突然送られてきたのであった。

この3種類の本にパソコン通信の会議室情報とInternet上で収集した情報を加えるとかなりまとまった情報となった。 飛行機はその日のうちに到着が可能なSASに決定し宿泊はFAXで直接予約、ホテルとプライベートルームを組み合わせて決める。
複数ホテルにE-Mailを送ってみたがどこからも回答が来ない、試しにFAXで申し込むとすぐに回答が来た。 読まないのならE-Mailアドレスを載せるなよな!

 SASは久しぶりの利用だ。 機内で連続して上映される映画を見ていると時間はあっという間に過ぎてゆき、気づいたらもう着陸体制だ。 飛行機は予定通りの時間にコペンハーゲンに到着した。 リガへの飛行機はバルチックエアラインで出発まで4時間もある。 空港を行ったり来たりして過ごした。 この空港は搭乗案内のアナウンスが一切なくて静かなものだ。 子供の頃良く遊んだのと同じ「片足を乗せてもう一方の足で床を蹴って進む乗り物(ローラースルー・ゴーゴー ?)」で係員が行ったり来たりしている。 時間も遅いので人も少なくのんびりとした時間を過ごす。

バルチックエアラインの飛行機は私にとってとても珍しい形をしていた。 翼が胴体の一番上から出ているのだあ。 かっこ悪いぞ!。 空席が目立つ変な形の飛行機に乗り込むともう日本人は見あたらない。 成田からいっぱい乗ってきた日本人は一体どこへ行ってしまったのだ と思っていると1時間程でリガ空港に着陸した。

空港の小さな建物に入る。 そうだビザをここでとらなければ入国できないぞ。 右手の方にそれらしき窓口がある。 パスポートコンロールをそのまま通過して行く他の乗客を横目で見ながら用紙に記入する。 記入箇所が多く難しい。 「滞在中の財政負担は誰がするのか」「ラトヴィア政府発行の健康保健証を持っているか」とかよく解らない項目が多い。
実はこんなこともあろうかと事前に日本ラトヴィア協会で日本語で説明された記入例を入手していたもんね。 その記入例を見ながらすらすらと書き込み宿泊予定ホテルと滞在日数を答え費用を支払うと、美人のお姉さんはニッコリと微笑み、ビザを発行してくれた。

周りに誰もいなくなった寂しいパスポートコンロールを通過しぽつんと残っていた荷物をピックアップしてタクシーでホテルへと向かう。 時刻は夜の10時30分頃、夕焼けが美しいリガの街であった。 Laine Hotelにチェックインしてテレビを見るとCNNで見た顔が写っている。金さん銀さんの誕生日の話題だった。

・・・・・・・・ to be continued

リガ


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