★ ふたたびブカレスト ★


 山の中のホレズ修道院から首都ブカレストに向かって車を走らせる。 首都に向かう運転は簡単で、ブカレストを示す標識のとおりに走るだけだ。 山から抜け出し田舎の道を走ると途中から高速道路になったが、この無料の高速道路がまたすごい。 片側二車線のきちんとした高速道路なのだが、畑の真ん中を簡単な柵で仕切って舗装しただけという感じ。 牛や馬の放牧を間近に見ながら走るので景色は良いが、この柵がシンプルで動物が出入り自由。 結果的に多くの交通事故にあった可哀相な犬や猫を多数目撃してしまうことになってしまった。

道路は舗装状態が良かったり悪かったりで運転が大変なのだ。 さすがに一般道のように穴を避けながら走るようなことはない、つまり穴はあるが補修されている。 この高速道路を走る車がすごい、フォルクスワーゲンが多くてアウディ、オペル、ルノー、BMWなどの高級車がものすごい速度で爆走しているのだ。 制限速度は何と130km、正確に言うと「通常は130km、雨の日は80km」と書いてある、しかし現実は制限速度完全無視の激しいカーチェイス状態。 国産車のDACIAも時々見るが大抵が古い車でそんなに早くない。

しかし我々の車、韓国のDewoo Matis、フルマニュアル仕様、13万キロ走ったご老体、クラッチは切れが悪くて変速ギアも接続が甘い、異様なエンジン音、バッテリーは弱くご臨終直前の愛車は5速で床まで踏んでも80キロが限界で、下りの坂道でもやっと100キロしか出ない。 常に追い越される状態での運転となってしまう、時々出会う超遅い車、ボロボロ車の屋根に荷物を満載した車や地元のおじいさんが運転する年代物の車などを追い越すときが大変、追い越し車線に出て三速で床までアクセル踏んでも加速が悪く、追い越し始めるときには小さく見えていた後続車があっというまに追いついてくるのだ。 追い越しの時に聞く三速のエンジンの雄たけびと振動はすさまじく、非常に心臓に悪い運転となってしまうのであった。


 高速道路はブカレスト市内で終点となり、そのままダウンタウンの道をしばらく走ると中心部のホテルに到着した。 ホテルは4つ星のNOVOTELを予約していたがさすがにこのオンボロ車では格好悪くて玄関に横付けできなかった。 ホテルを通り過ぎた横道の路上に車を停めて、荷物はそのまま車に残して、常連のようなさわやかな顔でこの高級ホテルにチェックインしたのであった。 市内を一望できる眺めのよい部屋で少し休んでから、デパートやカルフールを冷やかしながら街を散策する。 この街の印象は、まだ独裁者支配時代から西洋的な近代化に向かう途中といった感じだろうか。 首都なのに観光客の姿も少なくて土産物屋もほとんど見当たらない。 前回訪問した13年前とあまり町並みは変わっていないような気もする、何となく重苦しい雰囲気を感じ活気が見当たらない。 前回訪問のときは街一番のホテルといわれていた「ホテルブカレスト」に宿泊したが、今ではそのような名前のホテルは見当たらない。 
 
夕食はホテル近くのレストラン、ロンプラお勧めのところに行ってみた。 午後8時を過ぎたブカレストは夕暮れが迫り全体的に暗い、照明が少ないこのルーマニアの首都は文字通り「暗い」のだ。 巨大な建物があった、ルーマニア国立銀行だった。 この街には巨大な建物が多いという印象があるがこの銀行はとっても大きかった。 国民の館は世界最大の建造物だそうだが、大きいことに執着を示した独裁者の夢の名残なのであろうか。 この銀行のすぐ近く、暗くて寂しい大通りから狭い路地に入ると、そこはレストランが軒を連ねる別世界だった。 市内中心部の道路沿いにはレストランなど全く見当たらなかったが、この一角に集中しているということなのだろうか? 路地にぎっしりと並ぶそれぞれの店のテーブルの間を縫いながら目指レストランを探す、やっと見つけた店も大繁盛していた。 とろこがどの店も店内はガラガラでみんな道路のテーブルで食事している。 我々はもちろん店内で食事したが最後まで貸切状態だった、まあ夏のヨーロッパではいつものことで慣れたけどね。 最後の夜の料理も、すっかり味に慣れたスープとルーマニアビールにした。 この店のスープもボリューム満点で美味しかった。


 すばらしいホテルで快適に目覚める。 何となく痒くて確認すると、体のあちこちが虫に刺されて赤く腫れていた。 前日のホレズ修道院のペンションで遂に虫にやられたのだった。 前回はマラムレシュのホテルで虫に噛まれてしまい、現地の薬局で薬を買う事態となり帰国してからも皮膚科に通うことになった経験から、今回は虫対策の薬を多量に買い込み持参していたのだった。 しかし今回は田舎の宿泊でも部屋は清潔で虫に噛まれないことから、この国も清潔になったものだ、虫もいないのだろうなとすっかり油断してしまっていたのだ。 ホレズ修道院のペンションも清潔なベッドだったので無防備だったのが最後に災いとなった。 この国の虫はやはり手ごわかった、腫れはとても痒く熱を持ってきている。 持参した虫刺され薬を塗ってなんとか悪化を防ぐことにしたが果たして帰国してから皮膚科に行くことがない程度ですむのか心配になっている。
 
  約束の9時にレンタカー会社のエージェントから電話があり、彼とロビーで会った。 赤いダーダーのTシャツにボロボロのジーンズの若いお兄さんだ。 よくこの格好でドアマンを突破してロビーに入れたものだと感心してしまった。 ホテルの駐車場に車がなかったぞと彼は言うので、あんなボロ車を有料のホテル駐車場に停める訳ないだろう、路上に駐車してあるよと応酬してやった。 彼を車まで案内して返却は無事完了。

彼によると
・我々が車を借りた会社はAutorunというルーマニア国内の小さな会社
・Eurocarsはルーマニア国内の会社だが、実際は受けた仕事をAutorunのような小さな会社に出している
・Europcarはヨーロッパ全域をカバーする大手で、この会社を連想させるEurocarsという名前にしたのは小さな会社としての生き残り戦略だ
・郊外では車はライトを点灯しなければならない、これがこの国のルールだ。 市内ではその限りではない。

我々はまんまとこの戦略に嵌ったカモという訳だ。 ホームページではそんなに小さなに会社という印象はなくルーマニア全土をカバーする大手という感じだった。 車も大手会社と同じクラスをそろえてあった。 メールの返信でDewooのMarizしか準備できないと言われたときには不安があったが、結果的にこれが的中したことになる。 あのボロ車で1,200キロものドライブをすることができたことは奇跡に近いと思われる。 いつ壊れても不思議がないような車だった。 結果OKで、今回は良い勉強をしたと前向きに考えることにしよう。


ホテルにチェックインするときは軽やかな服装に手荷物だけ、常連のように颯爽としていた我々だが、チェックアウトのときには一変して薄汚い格好で荷物をガラガラ引きながらだった。 ドアボーイの「タクシーですか?」の笑顔も断って、バス停までてくてく歩くのであった。 空港までのバスに乗るのは今回の旅行では4回目なので慣れたものだ。 何度見ても呆れる凱旋門を通過して、大工事中のバネアッサ空港も通過して、バスは空港へ到着した。 ブカレスト市内では、偽警官にも会わなかったし強盗団にも遭遇しなかった。 ぼったくりタクシーもいなくて、ぼったくりレストランにもぼったくりペンションにも出会わなかった。 野良犬軍団も見なかったしストリートチルドレン窃盗団も見かけず、危ない目にはまったく遭遇しなかった。

ルーマニアの人々はみんな親切で、特に田舎の人たちは旅行者にとても親切でした。 その暖かい人柄が滲み出るような、彼らの優しい笑顔を思い出してしまうのでした。


The End.


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