★ クトナー・ホラ ★


 要塞都市のターボルから田舎の道をひた走り、プラハに近い世界遺産の町クトナー・ホラへと向かう。 チェコの田舎は道路が良く整備されておりとても走りやすい。 森の中の一本道を走り、広大な畑の中のまっすぐな道を地平線を見ながら誰もいない道をただただ走る。
民家が見えてくると小さな村だ、村の名前が書かれた標識を過ぎて集落の中を走るが人影は見えずあっという間に村を通りすぎてしまう場合も多い。 村の規模が少し大きくなると教会とレストランがあり人の姿もちらほら見える。 ここでは都会とは全く違う時間が流れているのがわかる。

途中の見知らぬ小さな町で休憩し、レストランとは名ばかりの小さな食堂でランチタイム。 地元の人たちがランチを楽しんでいる。 我々はその全員から好奇の目でじっと眺められることになるのだが、これも慣れればどうってことはない。
メニューはチェコ語だけで、大部分はどんな料理かわからない。 しかし、旅も後半になってくると学習の成果が出てくる訳で、チェコ語のメニューを眺めていると大体の料理が想像できるようになってきているから不思議なものだ。
こんな感じでレストランで食事をしたり普通の店で日用品を買ったりしてみると、本当の意味での物価が分かってくる。 プラハの旧市街のレストランが如何に高い料金を取っているか、観光客相手の店が如何に価格を吊り上げているか、旅行の後半でプラハに戻ってみると実感としてわかるのである。


 クトナー・ホラには夕方に着いた。 小さなホテルにチェックインしてから町の散策に繰りだす。土曜日の夕方だというのに、この世界遺産の町は観光客の姿が少なかった。 町には活気がなく静かなのだ。 バルバラ教会へ向かって歩いてゆくと、突然視界が開けて前方の高台に大きな教会が見えてきた。 堂々とした姿はとても印象的だ。 教会はちょうど入場クローズする直前の時間だったので中には入らずに、周囲を回っただけであったがその大きさに驚く。
夜になると観光客がいなくなった町はとても静かだ。 町の中心の広場も閑散としているのに驚く。
夕食はホテルのレストラン、貸切状態だったのでじっくり時間をかけて楽しんだ。 黒ビールを飲んだがコクがあって素晴らしく美味しかった。


 翌朝はゆっくりと起きてから朝食を済ませ、地下道ツアーに参加した。 この町はかつてチェコの中心都市として繁栄した歴史がある。 当時の冨の元が「銀」であり、栄光の歴史の面影を残す銀山跡が残っている。 朝一番のツアーは参加者も少なくてのんびりと回ることが出来た。 このツアーもチェコ語だけで英語の分厚いパンフレットを渡されて、それを読みながらの参加となる。 といっても、銀山跡の地下道は真っ暗でとても読めないのであるが・・・

ツアーは、昔の銀の採掘方法の説明から始まった。 特殊なハンマーだけで掘り進む昔の銀の採掘の話はとても面白かった。 1トンの土からわずか3グラム程度しか銀が取れないと聞いて、その作業を想像すると気が遠くなりそうになる。 
説明がひととおり終わると、いよいよ地下道へとツアーは進む。 閉所恐怖症の人、暗闇恐怖症の人、妊娠している人、普通以上に太っている人などは参加できないと案内役のお姉さんから説明があり、ツアー専用の白い服を着させられてヘルメットをかぶる、そして懐中電灯を各自に手渡されて準備は完了。 物物しい準備にワクワクしてくる。 地下道の入り口まで100m程度の距離は普通の道をみんなでぞぞろぞろ歩くのだが、一種異様な風体の一団に道行く人やカフェで休んでいる人たちのぎょっとした視線が追いかけてくる、かなり恥ずかしい。

ガイドは若い女性で、精力的に一生懸命話している。 といってもチェコ語なので理解できないが。 時々英語でも説明してくれるのでなんとなく雰囲気はわかる。
狭い階段を地下に向かって下りてゆく、温度がどんどん下がってくる。 先頭はガイドの女性で最後尾にも女性ガイドがつく、最後尾のガイドがいないと絶対に地下道で迷子になると思った。 地下道は複雑に入り組んでおり、真っ暗な通路は懐中電灯の光なしでは一歩も進めない。 途中の道には水が溢れ出しており、天井が低い場所ではヘルメットに天井の壁ががんがん当たる。 曲がりくねった通路は一番狭い場所では幅が40cmとなり横にならないと歩けないほどだ。 確かに閉所恐怖症や太った人は無理なツアーであると実感。 途中には、川あり橋あり、信じられないほど透明な地底湖ありで、とても興奮するツアーであった。

地下銀山跡のエキサイティングなツアーから無事地上に出てきたあとは、バルバラ教会の中を見学した。 昼になるといったいどこにいたのだろうという感じで観光客がぞろぞろと歩いているではないか。 想像するに、この町はプラハから車で1時間程度の近距離にあるので日帰り観光が多いのだろう。 前日の夕方には大部分の観光客は帰路についていたので町には姿が見えなかったという訳だろう。 特に観光バスで乗り付けたと見られるグループが多い。
今回のチェコでは有名な観光スポットで「韓国グループ」「中国グループ」が多く目立った。 以前はこの種のアジア系グループといえば日本人と相場が決まっていたのだけれど、最近は日本人よりも彼らのグループのほうが多く目に付く。 急激に成長している国を象徴しているようでおもしろい。

観光客が増えてきてようやく活気を取り戻した町を見て何故か安心しながらこの静かな町に別れを告げ、首都プラハへと戻る最後のドライブへと向かうのであった。

・・・・・・・・ to be continued




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