古都シエナからオルチア渓谷のSan Giovanni d'Assoへ移動する日だ。 Sienaは大きな町で、とても二泊の日程では回りきれない。欲張っても仕方ないのでまた機会があればゆっくりと訪れようということにして、この日もゆっくり起きて昼にチェックアウト。 車は駐車場にあるというので荷物を転がし駐車場に行くが車が見つからない。
チェックインのときには玄関に車を横付けして、キーを渡していたのでどこに駐車されているのかわからない。 フロントで確認した駐車場に車がないので少し嫌な予感が・・・・・
一昨年はドライブ初日に前輪がパンク、昨年は山の上の名もない修道院でバッテリーが上がるというトラブルを経験しており、三度目の正直となる今年は何が起こるかとても心配していたのだった。 フロントに戻り「車がない!」と言うと、なんだかんだと人が集まり騒がしくなってきた。 車のキーを渡してしばらく待つが車は現れない、探している雰囲気はあるのだが・・・
30分近くしてからやっと正面玄関に車が現れた。 いったいどこまで探しに行っていたのかな? 一安心してからドライブをスタート。
途中、San Galganoという廃墟となってしまった修道院に寄り道してから、オルチア渓谷に向かって田舎の山道を走るドライブを楽しむ予定だ。 快晴の中、気分良くシエナからのドライブを楽しみ車は San Galgano に到着した。 畑の真ん中に、今では廃墟となってしまった大きな修道院跡がある、周囲を畑に囲まれた、静かな静かな場所だった。 雲ひとつない青空、近くの丘には小さな教会があり、修道院の近くには小さなホテルレストランが1軒あるだけ。 緑に囲まれた平和な雰囲気が漂うのんびりとした場所だった。 事前に見た写真では緑一色だったこの修道院の地面には、何故かパイプ椅子が整然と並べられていた。 コンサートか演劇が上演されるらしい。
この修道院、中に入ってみると驚いた。 なんと屋根がないのだ。 本来であれば屋根があるべき場所には青空が見えるというとても不思議な景色なのだ。 そして静寂、廃墟の修道院は静寂が支配する別世界だったのだ。ガルガーノはこの地方の裕福な家庭に生まれたが、神のお告げを聞いてから多くの奇跡を起こして死後に聖人となった。 修道院はシトー派が俗世間から離れて修行した場所だったが、衰退してしまい一説によると屋根も売り払ってしまったらしい。
不思議な廃墟の修道院の中で芭蕉の句なぞ口ずさんでいたら、外から声がするので行って見ると、すぐ横の建物ではバレーの練習をしていた。 コーチが熱血指導中で若いダンサー15名程が薄暗い廃墟の中で一生懸命踊っている。 相当熱が入った練習だな、今夜が本番かもしれないと思った。
丘の上の教会に歩いて行ってみた。 Rotonda di Montesiepi という教会は小さいが美しい教会だった。 この教会にはガルガーノに関する伝説の証拠が残っている。 神の道に生きることを決心したガルガーノに対し、友人たちが元の生活に戻るように説得する、そのとき戻るつもりはないという意思の強さを示すためにガルガーノが石に突き立てた剣は、途中までするりと石に飲み込まれて石と一体化してしまったというお話。 教会の中にはその奇跡の証拠として、プラスチックケースで保護された「石に突き刺さった剣」が置いてあった。 現代の科学的鑑定結果は、確かに剣はその当時のもので剣と石の間にはまったく隙間がなく、岩の隙間に剣を剣を差し込むことは不可能であるという結論だったとのこと。 うーん奇跡の証拠とはまた珍しいものがあるものだと感心する。
San Galganoに別れを告げ、山の中のドライブコースに入る。 緑の山の中、良く整備された道をマイロード状態で走り抜けるドライブは快適そのもの。 車はオルチア渓谷の山の中を走り続け、どんどん深い山の中へと進む。 しばらく走り続けると、山の奥深くにぽつんと建っている修道院 Abbazia di Monte Oliveto Maggiore に到着した。 現在でも40名の修道僧が修行しているという修道院は San Gaiganoとは違い生活の匂いがするような気がした。 設立者の行いが一連の物語となって中庭の回廊にフレスコ画として描かれている。 この一連の絵はすばらしい出来で芸術的にも非常に優れているのがわかる。 この修道院の僧は皆、昔も今も白い服を着ているのが印象的であった。
山奥の修道院から山の中をまたまたひた走り、小さな小さな村である San Giovanni d'Asso に着いた。 村の外れにある古城がそのままホテルになっており、それが目指す宿なのであった。 山の中の道を延々と走っていると突然その村は出現した。 メインロードは車で走ると10秒くらいの距離で、村の外れにある古城は村に入った瞬間から目の前に見えた。 この古城ホテルには7部屋しかないのだが、城の一部をそのまま使ったおもしろい作りだ。 部屋の形も奇妙な形になっていた、ポルトガルで宿泊した国営ホテルの古城ポザーダを連想してしまった。
チェックインしてひと休みしたら夕食だ。 ホテルのレストラン以外には多分村に一軒しかないと思われる食事どころ、メインストリートに面した小さな「チーズ屋兼レストラン」に行ってみた。 最初から最後まで客は我々だけの貸切状態。 主人はアンドレアという陽気な奴で、注文取りからワインの説明、調理、おもしろくない冗談係りまで全部一人でこなす。 グラスワインをオーダーすると、どのワインにする? と聞いてきた。 お勧めはなんといってもMontalcinoのワインだというのでそれをオーダーした。 その場でボトルを開けて大きなワイングラスに並々と注ぐ。 わが人生で飲んだワインで一番量が多いグラスワインだった。 このMontalcinoワインは、落ち着いた味でとてもとても、そうとても美味しかった。
アンドレアはこれがまた典型的な「陽気なイタリア人」で、とにかく良く喋るよく喋る。 初対面の我々に対し、ずーと適当なことを喋りつづけるのには恐れ入る。 料理を作っている途中に、紙と鉛筆を持ってきて「俺と嫁の名前はこれだ、日本語で書いてくれ」って言ってきた。 なんだ、このおっさんは! 日本語で書いてどうしたいのかな? 仕方がないのでひらがなとカタカナで書いてあげたら、滅茶苦茶よろこんだぞ。 おかしなおやじだな。 店のBGMは'80のアメリカ音楽で、BGMに合わせてひとり陽気に歌いながら料理しているアンドレアであった。
チーズ屋なので、前菜に「チーズの盛り合わせ」をオーダーしたのだが、なぜか山盛りの「トスカーナ風前菜」が出てきた、アンドレアは得意満面だぞ、まあこれもご愛嬌か。 バジリコパスタもバルサミコ豚肉も素朴な味付けで美味しかった。 食事を終えてまったりしていると、アンドレアが「これから運転して帰るのか?」と聞いてきた。 運転はしない、そこのホテルに戻って寝るだけだと答えると、途端にうれしそうな顔をしてさっき開けたばかりのワインボトルを持ってきて、「これはサービスだ!」と言いながらまたなみなみとグラスに注ぐ。 根っから陽気なのか、日本語の名前を書いてもらって本当にうれしかったのか? まあいいか、ここはイタリアだ。
アンドレアの店にはコーヒーはない感じだったので、これまた村に1軒しかないBARに行ってコーヒーを飲んだ、BARまではアンドレアの店から20メートルくらいの距離だった。 昼間はゴーストタウンのようなこの村でも、夜のBARは地元の人たちの社交場となっているのか、結構混んでいた。 突然現れた東洋人に、地元の人たちは興味津々らしく、会話を中断して全員がこちらを見ている。 我々はもうこのパターンに慣れたもので、まったく気にならない。 みんなに見つめられながら、悠然と食後のコーヒーを楽しむのであった。 山の中の小さな村に泊まるのは楽しい。
食後のコーヒーを楽しんでからやっと暗くなった村のメインストリートを歩いてホテルに戻る。 古城ホテルは小さな規模だがレストランは広くて感じがよさそう。 ちょうどイタリア人の遅い夕食が始まる時刻で、ちょっと覗いてみると、どう考えてもこんなに多くの人はこの村に住んでいないだろうと思うほど多くの人達が食事をしていたのでびっくりした。
・・・・・・・・ to be continued

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