大聖堂の鐘の音が夢の中で響き渡る、部屋に差し込む眩しい朝日と鐘の音で目覚めた朝。
お約束の時差ぼけの朝はまだボーとして自分がどこにいるのか一瞬わからない。 そうだ、ここはワルシャワだった。
ホテルは大聖堂広場に面しており我々の部屋は4階の角部屋。 窓の下には美しい広場と大聖堂が一望できる絶好のロケーション、予約するときに「眺めの良い部屋をお願いね」とは言ってみるものだ。 相当高い位置にあるはずの戦士の銅像が窓と同じ高さに見える。広場には観光客が繰り出してきており騒がしい。 そう言えば今日は日曜日だった。
部屋でゆっくりとっ朝食を食べていると広場の喧騒がどんどん大きくなってくる。 突然トランペットが鳴り響いたので外を見ると、観光の馬車がスタートするところであった。 マント姿のおじさんが顔を真っ赤にして馬車の上で出発のトランペットを吹いている。 このホテルは旧市街の入り口である王宮広場を見下ろす位置にあり、最上階の角部屋からは素晴らしい眺めが楽しむことが出来る。
パンとチーズの簡単な朝食を済ませて外に出た。すでに広場には観光客が大勢いてとても賑やか。 旧市街に行くのは後にして、まずは翌日の列車の切符予約をしようと中央駅に向かうことにする。 中央駅までぶらぶらと歩く、快晴で日差しは強いが湿気はなく、日陰では肌寒い。夏のヨーロッパに来たと実感する。 まだ眠いが乾燥した空気の中を歩いていると気分は爽快になってくる。 近くの公園に差し掛かると人が集まっていたので行ってみると無名戦士の墓で衛兵交代の時間だった。 20名程の衛兵が見事な動作を見せながら交代の儀式を見せ、観光客が取り囲んで眺めている。
中央駅へ向かって歩いていくと、大きくて高いビルがどんどん大きくなってきた。 このビルは文化科学宮殿という建物でスターリンがニューヨークの高層ビルに対抗する意識で建てたというもの。 ワルシャワ市民はこの建物を嫌っているらしいが、確かにセンスの悪いビルだ。 ブカレストにも当時の独裁者が巨費を投じて建設した巨大なだけで見るからにセンスの悪い「国民の館」というものがあったのを思い出した。
中央駅は「この国でもっとも治安の悪い場所」とLonely Planetに書いてあったので緊張する。 英語が全然通じなくて愛想も悪い切符売り場のおばさんであったが、それを予測していた我々はポーランド語で書いたメモを見せながら希望の翌日の切符を購入することができたのであった。
日曜日で人が多い駅には数メートル間隔で警官が立っている厳重な警戒態勢、さすがに悪い連中もこの警戒態勢では何も出来ないだろうとすっかり安心して駅で昼食を済ませてから翌日乗る予定と同じ時間に発車する列車を見に行く。 既にホームに入っていた列車は満員で、1等車両では発車2分前だというのに大きなボストンバッグを窓から次々と中に運び込んでいる連中がいた。 日本人グループのツアーだった、現地ガイドの女性が「日本人の荷物は大きくて重いので搬入が大変なんです」と説明してくれた。
駅から旧市街まではバスで戻る。 急に雲が出てきたと思ったら突然雨が降り出して気温が急に下がってきた。 観光客が雨宿りしているのを横目にバス停からホテルまで走って戻る。 もう今日は雨かなあと思っていたら30分もしたら急に雲が切れてあっというまに快晴が戻った。 気を取り直して旧市街へと出かける。
旧市街はドイツ軍に完全に破壊された街を市民が執念で復活させたという執念の物語が残っている。 論争の末、世界遺産にも認定されワルシャワ最大の観光地になっている。 建物は当時の画家が描いていた絵をベースに忠実に復元されたという。 確かに古い美しい街並みではあるが、何故かヨーロッパの古い街並みを歩くときに感じる落ち着きがなくて映画のセットの中を歩いているような微妙な感覚が残ることもまた確かな印象であった。
夕食はポーランド料理を出すレストランで「ピエロギ」を食べた。 餃子のようでもありリトアニアのトラカイで食べた「キビナイ」にも似ている個性的な味だった。
翌日は朝のお散歩に行った。 前日は観光客でごった返していた旧市街も月曜日の朝は静かでゆっくりと散策することができた。 朝の旧市街散策を楽しんでからホテルに戻り荷物を運び出してチェックアウト、我々の部屋は最上階であるがホテルにはエレベータがなくて螺旋階段を延々と上り下りするのだが荷物がある場合、これが相当辛い。
バスで中央駅へ向かうのだが、朝なんとなく読んだガイドブックにバスに荷物を抱えて乗る場合は自分と荷物両方の切符が必要、切符がない場合はそれぞれに罰金を取られると書いてあったのを思い出し、とりあえず荷物の分も切符を買って車内でパンチしておいた。
結果的にはこれが大正解で、中央駅直前で検察がやってきたのだ。 荷物を抱えた我々を疑わしそうな目で睨む検察のおじさんに威張ってチケット4枚(我々二人分と荷物2ヶ分)を差し出した私であった。 おじさんの残念そうな顔を思い出す。
・・・・・・・・ to be continued

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