朝早く起きてハーツのオフィスまでレンタカーを借りにゆく。 旅行の後半は車で移動する予定となっているのだ。 無事チェックアウトを済ませ、早速クラクフ郊外にあるオシフィエンチムへと向かう。
車で50キロほど西に走ると「国立オシフィエンチム博物館」へ到着。 広大な駐車場に車を止めて入り口らしい建物に着いてみると、まだ昼前だというのにものすごい人が受付を待っておりびっくりした。 人ごみを掻き分けながら早速英語のツアーに申し込む。 すぐにガイドの男性が登場して我々を含む10数名を引率してツアーがスタートした。
日本ではアウシュビッツというドイツ名で知られているこの場所であるが、現地ではオシフィエンチムという地名。 アウシュビッツとビルケナウという二ヶ所の元強制収用所が二キロほど離れて存在しており、ツアーはその両方を回る。
有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と文字が書いてあるゲートからツアーはスタート。 ガイドのお兄さんは、この強制収容所で行われた信じられないような話を次々にしながら、その動かぬ証拠証拠である物品を次々に建物を移動して我々に見せてゆく。
ガイドは感情を抑えて淡々と話してゆくが、ツアー参加者の間には重苦しい空気が漂ってくる。 私はだんだんと気分が沈んできてしまった、そういえばこんな気持ちになったことが過去にあった。 リトアニアの首都りブリァーヤナの旧ソ連軍の強制収用所を訪れて、当時の様子がそのまま残る地下を見学したときだと気が付いた。
オシフィエンチムを一通り回ってから、バスで2キロ程離れた「ビルケナウ」へと移動、このビルケナウがまたすごいところで、広大な土地に今も収容施設であるバラックが整然と並んでいるのだ。 「死の門」と呼ばれた入り口のゲートから敷地内にまっすぐな線路が延びており、その線路が途切れる終点にはガス室があるという事実になんともいえない気分になった。
観光気分も吹っ飛び、気分がも沈んだ一日となったが、貴重な体験をしたと感じている。 映画や写真や文献で見たり読んだりするのと、実際にその場所を訪問して体験するのとではこんなに印象が違うものかと驚いた一日でもあった。
・・・・・・・・ to be continued

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