★ ザモシチ ★



 ザモシチは世界遺産に登録されている小さな村。 途中でスピード違反で捕まったりして到着が遅くなってしまい、ホテルにチェックインした頃にはすっかり暗くなってしまったが、夜の村に出てみた。
ホテルの横は大きな広場になっており、夜の遅い時間だというのに広場に面するカフェやベンチには多くの観光客がいたのに驚いた。 夕食のピザとビールをオーダーして我々も暗い広場に面したカフェのベンチに座る。 巨大なピザをほおばりながら広場を眺めていると、本当にヨーロッパの人達はオープンカフェが大好きなんだなあと思う。 よく冷えたビールが運転に疲れた体にしみる、それにしてもポーランドの田舎のこんなに小さな村でこんなに美味いピザに出会えるとは驚きだ、イタリア料理恐るべし。

 翌日は朝寝すると決めていたのだが、広場から聞こえる騒音で目が覚めた。 広場では拡声器の試験を繰り返して行っており相当騒がしい、人も相当集まっているようだ。
 そういえば今日はこの国では「聖母マリア被昇天祭」という休日であった。 まだ眠いので騒音に我慢して寝ているとそのうち式典が始まったようで挨拶やら音楽やらが本格的に続く。 それでも我慢して寝ていたら、ついに空砲をバンバンとやりだした、もう寝ていられない。 仕方なく起き出して広場へ行くと、まさに式典が終了したところで立派な軍服の連中や正装した連中が広場に大勢いた。 対空砲や装甲車まで登場しており相当きちんとした式典だったらしい。 しかし旅行者である我々には単なる騒音でしかないぞとぶつぶつ言いながら、珍しい本物の装甲車と対空砲を眺めるのだった。

そのうちに突然雨が降りだし、どんどん激しくなってきた。 実は前夜から雨が降り始めており、朝は降ったり止んだりで、気温もかなり下がってきている。 式典の騒音で無理やり起こされて機嫌が悪いこともあり、広場に面した郷土美術館を見学しただけで、村の散策もせずにホテルに戻って昼寝をしてしまった。

長い昼寝から目覚めると外は明るい日差しが、雨はあがり快晴になっていた。 気分も良くなりやっと本格的にこの村の散策を開始することができた。 ザモシチはザモイスキという名の貴族がイタリア旅行したときの風景に感動して、イタリア人建築家を呼んで作らせた五角形の堡塁で囲まれたルネッサンス建築が美しい村である。 大きな広場が村の中心にあり、広場に面する市庁舎はこの町のシンボルでどこからでも見える。 建物は美しく、新旧の門や昔のままに残る堡塁も当時の要塞都市の面影を語りかけてくれる。
この小さな村を歩いていると、何故か安心してゆったりとした気分になる、旅行のテーマである「脱日常」をまさに実感するひとときなのである。

夜まで村を散策して満足したので、目星をつけていたレストランに行ってみた。 このレストランは広場に面しており好立地条件なのだが、何故か我々二人だけしか客がいない。 中は暗くて電気もぼんやりしか点いていない。 オープンカフェもなく室内だけの店。 メニューはポーランド語だけ。 しかし驚いたことに味は良くて値段が安い。 外から見たらとても営業していると思えないレストランで、これが世界遺産の村のメインの広場に面したレストランとは信じられなかった。

宿泊したホテルは、国営旅行社であるORBIS(オルビス)が経営する村一番のホテルでボーイが荷物を運ぶ本格的なホテルであったが、値段がこれまた信じられないほど安かったのが印象的だった。 ワルシャワやクラクフといった観光地の価格が多分高騰しているのだと感じた。

ザモシチ3日目の朝、朝の散歩を終えてチェックアウトしてから、近くのロトゥンダ(Rotunda)という場所へ行ってみた。 ドイツがこの村を制圧していたときに8000人もの人間を処刑した場所で、現在は美術館と共同墓地になっている。 内部の墓と、円形の建物を囲むように無数の十字架が建てられていた光景が強く印象に残った。






・・・・・・・・ to be continued




ビエリチカ カジミエーシュ・ドルニイ



ポーランドに戻る



ご意見は hiro_homepage@ab.auone-net.jp まで

Copyright (C) "HIRO" 1997-2004