エヴォラへの道には特に見るべき場所もなく、淡々と車を走らせていると1時間程で到着した。 しかし予想はしていたが大変なのはここからであった。
土曜日ということもあってエヴォラの町は観光客と車で大混雑。 目指すポザーダが見つからない。 城壁の中を車でうろうろするが、道が入り組んでおり一方通行ばかり、極端に狭い道の連続でもうクタクタになってしまった。 ぐるぐるぐるぐる回っているとそのうちにポザーダらしき建物を発見、やっとの思いで目指すポザーダに到着したのだった。
エヴォラのポザーダはロイオス修道院という歴史的な建物を使っており、ポザーダの中でも特に人気が高いと聞いていたので、半年も前にスイートを予約しようとしたのだが、信じられないことにすでに満室であった。 しかたなくスタンダードを予約していたのでるが、部屋は狭く、フロントの対応も悪くてかなりがっかり。
早い時間にチェックインしたのに、1階のレストラン横の見晴らしが悪く異臭がある部屋に案内されて、思わずクレーム騒ぎとなってしまった。 責任者出て来いということで少し騒ぎ、部屋を変えさせたがどうも気分が悪い。 日本人は文句を言わないと思われているのか、時々こういう扱いを受ける。 もっとも、現地で買った安物のTシャツを着ている我々がこんな高級ホテルに宿泊するほうが分不相応なのかもしれないが・・・
朝からの曇り空は結局回復せず、今回の旅行で始めて晴れ間のない一日となった。 外は寒い、太陽が出ていないとこれほど気温が下がるのかと驚いた。 結局午後は少し散歩しただけでポザーダでぶらぶらとして過ごす。
夕食はポザーダの高いレスランは避けようということになり、町に出てカウンター席の小さなレストランでとった。 観光地らしく英語のメニューが置いてあったが、小さな村ばかりを訪問してきた我々にはポルトガル語のメニューの方が見やすくなっているのに気がついておかしな感覚だった。 アレンテージョ名物の「豚とアサリの炒め物」と、ポルトガルではどこへ行ってもポピュラーな料理であるタラの料理を1/2分量オーダーし、すっかり夕食の楽しみとなってしまった重厚なアレンテージョワインを飲む。
翌日、朝起きると既に日は高く快晴。 この日は移動もないので、エヴォラの町を一日中ブラブラと歩くことにした。
まず、ポザーダのすぐ前にあるローマ神殿、名前は「ディアナ神殿」というらしい、さすが世界遺産だけのことはあって名前も格好いい。 こんな遺跡が町の真ん中にあるエヴォラはすごいところだと関心しながら、歩いて3分ほどの距離にある大聖堂へと向かう。 この大聖堂は12世紀後半から13世紀に建立された堂々とした建物で、内部を見学することが出来る。 内部には鎧兜に始まり彫刻や宝石などの歴史的なお宝が展示してあり興味深いが、狭い石の階段を登って到着する屋上がなかなかの見ものであった。 町のどこからでも見える大聖堂の塔は近くで見ると非常に美しいことがわかるのだ。
大聖堂をゆっくしと見学してから、サンフランシスコ教会にある人骨堂へ行った。 壁面から柱から天井から全部に人骨が埋め込まれておりハッキリ言って気持ち悪すぎるぞ、とても我慢できなくて早々に出口へと向かうのだった。 こんな悪趣味にはお目にかかったことがない、ライトアップして入場料まで取るのだから大したものではあるけれど。
ジラルド広場のカフェで休んだり、城壁にぴったりとはめこまれた家をみて関心したり、町外れの水道橋跡を見に行ったり、蚤の市で演奏するジャズバンドを聞いたり、日曜の快晴の町の平和な雰囲気を楽しむことができた
夕食は、かなり高級なレストランに行ってみた。 地下の洞窟のようなレストランで食べた夕食はとてもおいしくて、アレンテージョの濃厚な赤ワインがたまらない。
夜になってもオープンカフェやレストランで元気に騒いでいる観光客達を眺めながら、ライトアップが美しい街角をぶらぶら歩きながらポザーダへと向かう、この旅も終わりに近づいていると考えたら少し寂しくなってしまった。
チェックインで揉めたポザーダだったが、流石に一定以上の水準は保っている。 浴室の壁は大理石で作られており豪華な感じ、朝食も申し分ない。 町の中心にあるジラルド広場の噴水は大理石で作られており、ロイオス修道院の床も大理石だった。 そういえばこの付近は大理石の産地として有名とのこと。 どこへいっても大理石が目立つエヴォラの町だった。
・・・・・・・・ to be continued

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