ヴィアナ・ド・カステロのポザーダを出発し、大聖堂に寄ってから海沿いの道を北に向かって走る。 今日は国境を越えてスペインに入るのだ。 国境近くで高速道路に入り更に北に向かってどんどん走る。 Tuiという町からミーニョ川を渡ればそこはもうスペインなのだ。
ミーニョ川の橋の真ん中に国境があるのだが、地図のような線もなくて検問のゲートもなく、「ここからスペイン」という簡単な道路標識があっただけで、あっという間にスペインに入ってしまったため実感がわかない。 しかし、国境を越えた途端に道路の舗装が変わり車の下から聞こえる音が変化したり、道路標識の表示様式が変わりとてもわかりやすくなったのを感じる。 橋を渡り最初のサービスエリアに入り、カフェで飲み物を注文したときに「グラシアス」と挨拶され、やはりここはスペインなのだと実感することができた。
そのまま高速道路をオーレンセ(Orense)まで走り、ここから一般道であるミーニョ川沿いのN120道路を走る。 オーレンセは大きな町だが立ち寄る時間はないのだ、有名な橋を横目でちらりと見ながら停まらずに走り続ける。 本日の目的地はオーレンセの更に北にあるシル渓谷なのだ。 シル渓谷に関する情報は日本ではほとん入手することができなかった。 Lonely PlanetもMichelin Green Guideもほんの少ししか触れていない。 スペイン政府観光局発行のガリシア地方ガイドに小さくて画質の悪い写真が1枚だけ載っていたのだが、この写真がなぜか印象的であったことから直感的にここを目的地に決める我々もなかなか渋いなと思う。
オーレンセを過ぎ渋滞もなくなった山道を快適にしばらく走ると、ミーニョ川とシル川の合流点にある「Os Peares」という村に到着した。 ここからは進路を右手にとりシル川沿いの道を進む。 道は狭くて車のすれ違いは大変、高速道路は快適だった我々の大きな車は、この道では一転してすれ違いの度に苦労することになった。 私は、レンタカー屋のオヤジに悪態をつきながらこの2日間を運転することになってしまうのだった。
川を眼下に見ながら道はどんどん登ってゆく。 朝は快晴だった天候は下り坂で完全に曇り空になってしまった。 実は日本ではこの付近の宿泊情報が見つけられなくて、本日と明日の2日間はホテルの予約なしで来ているのだ。 天気が良くないこともあり、景色は翌日にお預けということにして宿泊場所を探すことにした。 ところがこのシル渓谷の川に沿った道は全部山の中だった。 時々小さな村を通過するが泊まれるような建物は見つからない。
気がつくと、時間は既に午後5時を過ぎているのに驚いた。 夏のこの時期は夜10時頃までは明るいので。夕方の5時ではまだ太陽は高いのだ。 国境を越えた瞬間に1時間時計が進んでしまったこと、最悪はシル渓谷を抜けた町で宿探しをすればよいと安易に考えていたが、狭い山道のため距離が稼げないことからシル渓谷を抜ける前に暗くなる可能性が高く、少しあせってきた。 そうしていると山奥の小さな村の中に小さなリゾート風ホテルを発見した。 しかし喜んだのも束の間で、なんと満室だった。 こんな山奥のホテルが満室なのか! とても驚いた。 しかたなく車を先に進める。
狭い山道はどんどん高度を上げてきており、気がつけば遥か渓谷の底にシル川が見える。 しかしこのとき我々にはこの美しい景色を楽しむ余裕は既になく、今夜は遂に山の奥で車中泊かと覚悟を決めそうになっていたのだった。
峠を越えて道はくだり坂になってきた、しばらく道を下ると出現したT字路を何となく左に曲がり道なりに右カーブしたそのときに突然小さな集落が見えた、その村に入った途端にその建物は突然現れた。
その小さな村はParada do Silという村だった、そしてその村のたった一軒の民宿には空室があった。 入り口が閉まっていたので隣のバルで隣に泊まれるかなぁと言いながら騒いでいると、間もなく宿の主人が子供を連れて戻ってきた。 英語のできない主人と身振り手振りで交渉して部屋を確保した。 やっと落ちつくことができて一安心だ。 狭い道の運転で疲れてしまい、やっと宿が見つかった安堵感もあり部屋でお昼寝だ、もう夜だけれどまだ明るい。
さてお昼寝から目覚めるとやっと夕暮れになってきた。 さて夕食でも食べるかと思い民宿の隣のバルに行ってみた。 常連の連中が酒を飲んでおしゃべりしている。 何か食べるものある? と聞くと飲み物だけだよ、夕食ならは村の中心のレストランへ行けと言われた。 歩いて2分ほどの距離にある村の中心のレストランへ行ってみた。 そのレストランは薄暗い雑貨屋兼食料品店の奥にある、なんとなくバルのようなものだった。
勝手にテーブルに座ってからメニュー頂戴と言うが英語が全然通じない。 少しだけ英語ができる居合わせた女の子の通訳で交渉するが、メニューはないが1時間待てば何か料理を作るけど待てるかとのこと。 おいおいこの国で1時間ということは2時間は待たなければならないなと思ったので、1時間も待てないぞ!腹減ったので何か食わせろって感じでわいわい言っていたら、ボガディージョならすぐに準備できるとのこと。 ボガディージョを注文してしばらく待っていたら、誰かが店に大きなパンを運んできた、あれは多分我々のパンに違いないと話していたら案の定それから15分程で巨大ボカティージョが運ばれてきたのだった。
ここで飲んだスペインビールは最高に美味しかった。 ポルトガルではワインばかり飲んでいたからかもしれないが、スペインのビールはいつ飲んでも美味しいなあと実感した。 山の村の夕暮れ(と言っても夜10時過ぎであるが)は気温が下がり、半袖では寒く感じる。 静かな山奥の村で少し侘しい夕食を楽しんでいると、ゆっくりと夜は更けてゆく。 ずいぶん遠くまできたものだとしんみり思った。 そういえば、到着翌日にポルトのレストランで日本人ツアーの団体に出会ってから以降、一人の日本人にも出会っていないことに気がついた。
翌朝はゆっくりと起きる。 既に日は昇り窓から見る外は快晴でうれしくなる。 さてシル渓谷の絶景を見に行こう。 前日走った道を逆に走る。 快晴の山道を、周囲の景色を楽しみながらのんびりゆっくり走る。 前日に満室と言われたホテルに寄って、ブランチをとってからシル渓谷観光を続けたが、雄大で美しいシル渓谷の景観を存分に楽しめた最高の一日となった。 途中で何度も車を停めて景色と空気を楽しむのだが、このルートはここスペインでもマイナーなのか、車は少なくて狭い道でものんびりと安心して車を走らせることができた。たまに車がすれ違うとき相変わらず緊張したが・・・
この渓谷の美しさは予想を遥かに越える内容だった。 ガイドブックの写真の何倍もすごい景色が次々と現れる。 その景色は、文字通りではあるが、とても言葉では言い尽くせない。 シル川は地図で見ると細くて頼りない川なのであるが、実際に見てみると力強くて雄大に流れている。 山の頂上付近には無数の風車が回っている風景、切り立った断崖絶壁の底には曲がりながらゆっくりと流れるシル川、その真っ青な色が太陽に映えて美しい。 観光化されていない自然の風景は素晴らしいなと思った。
途中で渓谷を下る道があり、行ってみると船着場だった。 遊覧ボートが発着しており、車を停めてから船に乗り込めば断崖絶壁を見ながらの優雅なクルーズを楽しむことができるのだった。 残念ながらこの日も宿が決まっていない我々は、この時間がかかりそうな船遊びを諦めたが、もし機会があれば次回はぜひボートからの景色を楽しみたいなと思った。 ノルウェイのフィヨルドクルーズのような感じかもしれない。
山の道に戻り気の向くままに車を停めて景色を楽しみながら、ゆっくりと車を走らせる。 泊まる所も決まっていないのにのんびりしたものだ。 夕方になってやっと前日のシル渓谷ドライブの出発点、ミーニョ川とシル川の合流地点に戻ってきた。 前日に目をつけておいたプライベートルームらしき家で空き部屋を確認しようと入り口のドアを叩いた。 すると上品なおばんさんが出てきたが、英語はダメ。 苦労して交渉した結果宿泊OKとなり、なんだかあっさりと宿泊場所が決まってしまった。 部屋は新しく清潔で問題なし、窓からは川の分岐点と青い橋、そしてその橋の上を走る列車が見える。 これまた美しい景色だ。
部屋で一休みしてから、山の中の修道院を見に行った。 南の方から山を登る道が複雑でわかりにくい、昔の修道院はとんでもない山の奥にあるのだなとあらためて驚く。 二年前のスペイン・ピレネー山奥の教会訪問旅行を思い出した。 この付近には複数の修道院があるが、その全てが山の奥深くに建てられており辿り着くのが大変なのだ。
複雑な山道を迷いながら走り、Monasterio San Pedro de Rocasという修道院に到着した。 この修道院はガシリア地方では最古の修道院で、岩と一体になった興味深い建物が見学できた。 山の奥なのにインフォメーションセンターまであって、観光客がバスで来ていたのにも驚いた。 この修道院の見学が終わり、現在はポザーダになっている別の有名な修道院にも行こうと思っていたが、ガソリンが残り少なくなってきたので心配になり諦めておばさんの家に戻ることにした。 シル渓谷にも、修道院があるこの山岳地方にもガソリンスタンドはどこにもないのだった。
夕食はおばさんから「別料金だけど食べるか?」と聞かれたのでお願いしておいた。 この付近ではレストランというようなものは無いと思ったからだ。 提示された食事代は結構な値段だったことから、実はおばさんの夕食には相当な期待があったのだ。 自家製赤ワインから始まり、生ハムメロン、新鮮なサラダ、大きなスペイン風オムレツと続き、さてメイン料理は何だろう! と期待が高まったところでまさかのフルーツのデザートだぞ、おいおいと思っていると、続いてコーヒーで終了してしまった。
値段から勝手に「豪華ディナー」を予想していただけに失望感が大きかったが、良く考えるとスペインの一般家庭では夕食はこんなものなのかもしれないということに思い至った。 この国の人は、朝はゆっくり起きて軽食とコーヒー、昼食がメインでいっぱい食べる、シェスタしてから夕食は簡単にということだろうか。 しかし高い夕食だなぁ、おばさんに−ぼられた−ような気がする。 多分、いや間違いなくぼられてしまったのだ、とても悔しい。
翌朝、朝食は川と橋を見ながらという雰囲気は優雅なものだったが内容はとてもシンプルなものだった。 チェックアウトのときにおばさんが請求してきた宿泊費が前日に聞いた金額と違う。 文句を言うのだが、早口のスペイン語で応酬されて会話が成立しない。 時間をかけて意思の疎通を図り、やっと理解したおばさんの言い分は「昨日は金額を間違っていた、ごめんね、今日の金額が正しいのでこちらで払ってね」ということだった。 前夜の高額ディナーにムカついていたこちらは、この言い分を聞いて一気にヒートアップして一歩も引かない姿勢で対応したことは言うまでもない
30分以上のバトルの結果は残念ながら完敗であった。 おばさんはスペイン語で正当性を主張し一歩も引かない、こちらは論理的には負けないはずなのだが、何せおばさんにその論理が伝わらないのでどうしようもない。 最後には仕方なく、少しだけ値切って支払いを完了した。 後から考えると、これは飛び込み宿泊客に対するおばさんの常套手段だったのだと思われる。 安い宿泊費と高い食事を提示して、チェックアウトのときに宿泊費を引き上げて請求してそれで押し切る、スペイン語がわからない相手には早口で話し主導権を渡さない、というのは高度なやり口だ。 やり手のおばさんに脱帽だ。
・・・・・・・・ to be continued

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