2. 正式名称不明の野外博物館
村のはずれで「Muzeul Maramuresean」の小さな標識を発見。探すがそれらしき建物が見つからない。 偶然見つけたお巡りさんに聞くが良くわからない。(お巡りさんが知らないのではなくて、こちらが彼の説明を理解できない)そこでそのお巡りさんを車に乗せて道案内を頼んだ。 お巡りさんはかなり気分がハイな状態で道行く人に車から何かしら話しかける。 おかげでこちらは注目の的になってしまう。 大騒ぎしながら博物館に到着しお巡りさんとは記念写真と堅い握手で別れる。 案内された博物館には受付の小屋はあるがやはりそれらしき建物が見あたらない。
実はここは「屋外の博物館」だったのである。 受付小屋から丘の上へと続く道を上って行くと突然「昔のマラムレシュの村」が現れる。 広大な敷地内に保存されている建物は当時の人々の暮らしを語りかけてくれる。 ルーマニアのあちこちで売られている絵はがきで目にする建物そのものがそこにあった。入場料は800Lei、写真撮影する場合は追加で5000Lei必要。 ほとんど入場者はいない。
3. ハンガリ−フォリントの両替
数年前に東欧へから戻った荷物からハンガリーの通貨である4000フォリントを発見して以来、これをなんとか使うべくあちこちでトライしたがすべて断られていた。(北京でも使えずモスクワ空港でも使えなかった) マラムレシュ地方ではきっと両替が出来ると考え(ハンガリーに近いため)てシゲットでトライしたところ「できない」と言われた。 両替屋で何とかしてくれと食い下がっていると、赤ら顔のイタリア人が声をかけてきた。 フォリントを何とかしたいと説明すると、いくら持ってるのと聞く。4000だと言うと少し待てと言う。イタリアのおじさんはその場で多量のUSドルをLeiに交換(この量がすごい、10000札を両手でやっと持っている程の量)してからこちらへやってきて「ようし、おれが替えてやろうと」いいながらそのLeiの束から正規ルートで計算した金額を渡してくれた。 これがあっという間の出来事で私がLeiを握りしめて唖然としていると交渉成立とばかりに上機嫌で出ていった。 世の中には親切な人がいるものだと感心しながら私も数年越しの想いがかなって幸せな気分であった。
4. 町の市場で人気者になる
この町は一方通行の道路が平行に2本走る繁華街が中心となり、主な店はすべてこの通りに集中している。 私達が繁華街から少し外れた道をぶらぶら歩いてあるいていたところ、青空市場があったので入っていった。いろんなものが売られていたので順に見ていったのであるが、何となく視線を感じて回りを見渡すと何と全員がこちらを見ている。緊張しながらも山積みになっているスイカ売場で売場のお兄さんに値段の交渉などしていて気がつくと回りに人だかりである。 スイカを買うだけで何だと思いながらも思わず愛想を振りまいてしまう自分を呪いながらも軽い気持ちでスイカをバックに写真を撮った。 なんとこれがきっかけになって大写真撮影会になってしまった。 市場中の人が私達とスイカのもとに集まってきたのである。何とか小さなスイカを買って皆さんに送られてHotelに戻ったのであるがとても印象的に残る体験であった。
今回訪れたルーマニア全体で共通することではあるが、特にこの町では道行く人に興味深い視線で見られた気がする。 日本人が珍しいのか、私の眼鏡あるいは服装が変なのか、何故ほとんどの人が興味深そうな視線でこちらを見るかが最後までわからなかった。
5. マラムレシュの虫は手強い
2日目のHotelでの出来事。 夕方に部屋に戻ると予想していなかったベッドメイクがされていた。 新しいシーツにうれしくなって2時間ばかり寝てしまった。 これが良くなかった。 手と足を中心にして20ヶ所ばかり虫に噛まれたのである。 私は過去の経験から必ず「キンカン」なる薬を持参しているので決して慌てず「キンカン塗ってまた塗って」と歌いながらペタペタと塗り、毛布とシーツを前日90000Leiも出して買ったプロ仕様2000Wドライヤーで熱消毒をして「これでOK、問題なし」ということにして食事に出かけたのであった。
しかし、マラムレシュの虫は手強かった。このときの噛まれキズはその後も(ひどくはなったが)回復せず、自慢のキンカンも底を突き飛び込んだ薬局で買ったロシア製タイガーバーム?も強烈な臭いの割には効果がなく、結局帰国してからも医者に通いその後長い間後遺症に悩まされることになったのである。
・・・・・・・・ to be continued
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